どうも塾長です。

 

今から約15年前、晴れて西尾高校への入学を果たした塾長は、入学前に出された課題に一切手をつけないまま、新学期を迎えました。

 

あの頃は、「高校へ行ったら、もう勉強しなくていいんだ。」という謎すぎる考えを持っていたので、課題に対して手を付ける発想すら浮かばなかったのです。

 

そして入学早々行われるテストで「320人中300位」。。

 

中学校では、どれだけ悪くても50位(約250人中)より下の順位は経験してこなかったので、ある意味新鮮な気持ちでした。

 

普通ならここで危機感を持って「勉強しなきゃ!」となるはずなのですが、

当時の塾長は大馬鹿だったので「俺はもうお馬鹿キャラとして生きていく!」と真逆の覚悟を決めてしまったのでした。

 

当時、「クイズヘキサゴン」というクイズ番組がありまして、(アラサー〜アラフォーの皆さんには懐かしい番組かと思います)そこではおバカキャラが持て囃されており、そういうものに少なからず影響を受けていたのかもしれません。

 

そんな話はさておき、塾長の一つ前の席に座るNくんもまた、同じような順位を取っており、劣等生同士、仲間意識を持っていたように思います。

 

彼は高校デビューを画策していたらしく、薬莢の並んだベルトをしたり、ボクシングを習ったり、「その方向性で本当に大丈夫なのか??」と、塾長は自分のことを棚に上げて心配していました。

 

そんな彼にも、早速彼女ができたようで、嬉しそうなメールが届きました。(当時はLINEなど無く、ガラケーでメールというのが主流でした)

 

そして喜んでいたのも束の間、その2,3ヶ月後に今度は「振られた。涙が止まらない。」というメールが届きました。

一通りメールで慰めた後、

 

「東大に行く」

 

と彼は突然宣言し、彼の勉強一色の3年間が始まりました。

 

「彼女に振られた」=「東大に行く」

 

どうしたらその方程式になるのか、今でも理解ができません笑

 

何はともあれ、とにかく彼は凄まじく勉強していました。

 

一方の塾長はというと、そのまま勉強しない道を突っ走り、一番初めの中間テストで赤点を叩き出したのを皮切りに、毎回赤点、再試があるような劣等生ルートを歩んでいました。

 

そして時は流れて3年生。

 

部活を引退し、本格的に学年全体が受験ムードへと包まれていきます。

 

おバカ”キャラ”どころか、本物のおバカになっていた塾長も、模試で総合偏差値35、志望校判定は第6志望までEがズラリと並ぶような状態で、「流石にこのままだと人生が終わる」とやっと状況を自覚し、受け入れました。

 

彼はというと、ひたすら勉強を続けており、基礎を一通り終えて、東大の2次対策に励んでいました。

当初劣等生仲間だった彼は、3年生で特進クラスに入り、その中でも常に上位にいました。

 

塾長は授業後、自習用に開放された視聴覚室で勉強するようになったのですが、

2年以上全く勉強してこなかった影響は凄まじく、まさに

「服屋に行く服が無い」

状態で、勉強するための知識が無い、勉強するための脳の体力がない、何からやったらいいかもわからない、学校で配られた問題集は辛うじで科目の識別はできるレベル、まで落ちぶれていました。

 

何からやったら良いのかわからないので、数学は学校で配られた青チャート、英語はみんなが持っていたネクステを用意し勉強をはじめました。

(今ならわかりますが、青チャートは、難関大受験に対応できる網羅系問題集、ネクステはSVOCすら理解していない塾長にはまだ早すぎるものでした。要は完全なオーバースペックです)

 

そして彼も同じく視聴覚室にいました。

暗中模索、五里霧中状態の塾長を見るに見かねたのか、「とりあえずこれからやるといいよ。」と彼が基礎を固めていた際にやっていた参考書、問題集を貸してくれました。

 

そしてその参考書、問題集は

 

江戸時代の本かよ!蔵に眠ってた本でも持ってきたんか!

 

と突っ込みたくなるほどにボロボロでした。

(流石に盛りすぎた表現かな笑 でも本当にボロボロでした)

 

ひとまず彼に感謝を告げて、言われた通りそのボロボロの参考書に取り組みました。

 

とりあえず読み進めていくと見えてくる、彼の凄まじい努力の痕跡。。

 

同級生をリスペクトしたのは初めての経験かもしれません。

 

同時に、あそこまで成績を上げるには、これほどの努力が必要なのか。。

という手遅れ感、絶望感、不安感が襲ってきました。

 

しかしやらないことにはどうにもならないので、一生懸命やりました。

 

やっていく中で、今度は彼の参考書のチョイスに感動しました。

 

…..めっちゃわかる!!

 

もともと同じようなレベル感だったので、それを見極めてくれていたのでしょう。

(当時の彼は、おそらくその辺の塾講師よりも参考書チョイスにおいては長けていたのでは!?)

 

その中でも一番塾長に感動をもたらした参考書。

「大岩の一番初めの英文法」

これは神なので、SVOCすら覚束ない高校生はソッコーで取り組むべきです。その辺の本屋さんに今でも売っています。

わかりすぎて感動します。

中学レベルの英文法、国文法から解説が始まるので、サボり散らかしてきた塾長もそんなにマイナスな気持ちにならずに取り組めました。

 

そして時は流れて冬。

 

彼はセンター試験で東大の足切りラインを余裕でクリアし、順当に東大を受験しました。

彼の東大受験の噂は、学年全体が知るところとなりました。

 

塾長はというと、センター試験で英語、日本史、国語のトータルで約6割の得点率でした。

妥協すれば、行ける大学は無いことは無いけれど、志望校のラインには全く届いていない点数でした。

(1年生の頃から、MARCHのCに行きたいと思っていたので、センターの結果はあまり関係ないのですが、、)

 

そして私大専願だった塾長は、2月の中旬には全ての試験が終わり、順当に全落ち笑(笑い事ではない)

その結果を見て浮かんだ感想は

「だろうな」

でした。自分でも薄々気づいていました。

目を背けていた現実に嫌でも向き合わされた瞬間でした。

これまでの人生が上手く行きすぎていただけで、自分は凡人であること、努力を積み重ねないと希望の未来は得られないこと、身をもって学びました。。ここからは謙虚に生きてみよう、と。やっと真人間として歩んでいく覚悟が決まりました。

 

そして彼はというと、私立の滑り止めを一切受けず、東大一本で行くそうでした。

(侍かよ。。やっぱあの参考書、江戸時代から持ってきたのかな。。)

 

で、結果は不合格。

なんだか自分の不合格よりも悔しかったような気がします。

 

そのまま揃って浪人生活へ突入。

 

ここからは別に大して書くこともないので割愛しますが、

 

彼は再び東大に落ち、1万円札大学のTOP学部へと進学。

塾長の話はというと、、、別の機会に書きます。。

 

一橋や京大にランクを落とせば恐らく合格していたであろうに、それでも東大を貫き通した侍魂に今でも尊敬の念を抱きます。

しかも、元学年最底辺ですからね!?そこから考えたら十分すぎる成功と言えるでしょう。

 

そんな彼の今はというと、某大企業に勤める傍ら、ギャンブラーとして世界を飛び回っています。(???)

 

やはりよく理解できません。笑

 

 

今になって思うのは、偏差値の高い高校、大学に通う一番のメリットは、

このような出会いにあるのではないかと思います。

 

何事にも全力で取り組んだり、向上心が高かったり、チャレンジ精神に溢れていたり、面白い考え方を持っていたり、そういう人間の在籍割合が高いのが、偏差値の高い学校だと思います。

(偏差値の低い学校にもそういう子はいるでしょうが、あくまで割合の話ですので悪しからず。。)

 

このような環境に身を置いて学生生活を過ごしたいと思う人は、一生懸命勉強を頑張っておいた方が良いと思います。

 

それでは。